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2012/02/01

Bianchiの話(その1)


実は、新しく「藤原ヱンジニヤリング」という形でブログを作ってからは、意図的にBianchiについて書くことは避けてきました。

理由は幾らでもあるが、最大の原因はWikipediaかもしれません。


隠しても仕方が無い事だし、過去に何回かツイキャスで公言しているのですが、現在の日本語版WikipediaのBianchiのページの多くは僕がil PirataというHNで書いていました。今のM_FujiwaraというHNに落ち着くまで幾つかのHNを使ったのですが、そのうちの一つです。ちなみに、レパルトコルセのHandmade in Italyのステッカーは僕の1885に貼ってあるステッカーです。汚い写真で本当に申し訳ないw。

Wikipediaの中に「現存する世界最古の自転車メーカー」という記述がありますが、当時僕が大手のメーカーの創業年を調べまくって確信を持って書いた記述です。今でも合っていると思っているが、このフレーズがネットショップの宣伝記事や色々な人のブログで引用されているのを見て、ちょっと恐ろしく感じています。妄信的にネットの情報を鵜呑みにする人の多さを再確認し、それでいて消去するにも消去出来ない歯がゆさを味わいました。

結局、自分がBianchiについて知っている事の一部をWikipediaに載せたわけですが、今後も全ての知識をネットに載せる事は無いと思います。Bianchiの創業年は2度の世界大戦の遙か前であって、更にイタリアはそのいずれの世界大戦にも負けているからです。今残っている情報は殆どが後に繋ぎ合わされたor作られた物になってしまっている。現に、創業年だけで見れば、Bianchiよりも古くに開業したが、途中で一度途絶えているメーカーは幾つかあります。

更に、Bianchi自体が公開している情報は必ずしも全ての情報では無いわけで、幾つか非常に重要な情報が欠落していたりもします。

と、前置きはこれくらいにしておいて、ちょっと興味深い情報が入ってきたので紹介してみる事にしましょう。

今回はTwitterで犬速さんから教えて頂いた情報。ソースは海外サイト

これ、Celeste(チェレステ)の由来の話なのだが、非常に興味深い事が書いてあります。

チェレステの由来は有名だと思います。

有名なものとしては2つあるだろうか?創業者のエドアルド・ビアンキが1895年にマルガリータ王妃に自転車の指導をした時に、彼女の瞳の色をフレームカラーとして良いという許しを貰ったというエピソードと、その年のミラノの空の色を調合したというエピソードです。

いずれもロマンチックで素敵なエピソードなのですが、個人的には前々から気になっていました。

実は、Bianchiのチェレステカラーは1930年代くらいから始まっているようで、マルガリータ女王のエピソードとは微妙に年代がズレてしまいます。僕が知っている範囲では1950年のチェレステカラーが一番古いものとなります。それ以前の自転車でチェレステカラーのものは知りません。ちなみに、チェレステカラーになる前は全て黒色だったはずです。大昔の金属用塗料は錆止めの意味で塗られているものが殆どで、その錆止めの色が黒色だったという話です。

ミラノの空の色を採用したなら、「何がキッカケなのか」良く解りません。

今回のソースには次のように書かれています。

The truth is less inspiring, but no less interesting. The most likely origin of the paint is that it was a mixture of surplus military paint from the First World War, it was cut with white in order to tone down its martial nature. Regardless, this color continues to evoke the tradition that is Bianchi, and in that is quite inspiring for riders of the famous bicycles."

ざっと訳してみると、チェレステカラーはWW1の後、余った軍用塗料に白色を混ぜて作ったと。

ミリヲタでは無いので真偽はよく解らないのですが、確かに納得出来る話です。

戦時中、Bianchiがパラシュート部隊や自転車部隊の為に軍用自転車を生産していたのは良く知られた話です。トレヴィリオにあるBianchiの本社工場(現在、スウェーデンの会社に買収され、生産拠点を台湾に移しているため、こういった言い方が正しいか解らないですがw)横のミュージアムにも実車があったと記憶しています。

WW2ではBianchiの工場は空襲で全て燃やされていて、当時かなりの量の軍用自転車を生産していたのではないか?と予想しています。

終戦後、大量に余る軍用塗料。そのまま使ったら敗戦国として非常にマズイ。そうなったら、白で薄めて綺麗な色にすれば良いんじゃね?という苦肉の策だったのかもしれませんね。

ちなみに、英語版のウィキペディアにもその事は書かれており、多分合っているのでしょう。

と、ここまで書いたら色々とBianchiについてブログで書いても良いかな?と思うようになってきたので、ちょいちょい書いていく事にしますねw

あれ…?英語版のウィキペディアにも"Bianchi is the world's oldest bicycle-making company still in existence, having pioneered the use of equal-sized wheels with pneumatic rubber tires in 1885. It was founded in Italy in 1885."ってあるぞ…。
(;´д`)トホホ…

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